近畿
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舞鶴市について

府北部(旧丹後国)の、日本海に面する国際港湾都市。 国際港湾都市であり、行政・経済面において中心的な立場を担う。市内東部にある軍港のほか、造船や硝子といった重厚長大産業都市として発展し、舞鶴都市圏を形成している。

港は大きく二つに分かれており、軍港から発展した東舞鶴(東舞鶴市)と、城下町商港から発展した西舞鶴(舞鶴市(~1943年5月26日))より構成されている。1943年5月26日以前の舞鶴市に当たる西舞鶴は、旧舞鶴市と呼ばれる事もある(以下、本項では、西舞鶴を便宜上「(旧)舞鶴市」と表記する場合がある)。また東舞鶴を新舞鶴と呼ばれる事もある。

市の中部には、東部(東舞鶴)と西部(西舞鶴)を分ける五老岳が峙えているため、市街地も東西で分かれて発展している。東舞鶴はかつての軍需都市で、旧軍港や造船などを中心とする重工業地区である。一方、西舞鶴はかつての城下町で、国や京都府の行政機関や工業団地が集中する商工業地区である。このように同じ舞鶴市ながら違った顔を持っており、(旧)舞鶴市と東舞鶴市以来の「東西舞鶴の張り合い気質」が今でも残っている。

海上自衛隊舞鶴地方総監部(1952年設置)や第八管区海上保安本部(1948年設置)があり、国防拠点都市としての性格と、舞鶴港が1951年(昭和27年)に重要港湾に指定、また1995年(平成7年)には日本海側港湾では初めてFAZ(輸入促進地域)の指定を受けるなど、中国や韓国、ロシアなど定期コンテナ航路を有する国際貿易港を持つ交流・物流都市としての性格、また中丹広域振興局や近畿財務局などが立地する行政都市として発展を続けている。

福知山市について

北部(旧丹波国)の丹波地方に位置する、京都市と旧伏見市に続いて府下三番目に市制を施行した市である。

さまざまな出土品から、少なくとも縄文時代の始め頃から人が住んでいたと考えられており、古くから交通の要綱として栄えた市でもある。
特に織田信長の命を受けた明智光秀が塩見信房を倒し、その居城であった横山城を大修築し福智山城(後の福知山城)としてからは、その城下町として大いに栄えた市でもあり、現在でも鋳物師町、呉服町など地名にその名残を残す。更にたびたび大氾濫を起こしていた由良川の治水に光秀は成功し、地子銭を免除するなどの善政を敷いたことから、その治世がわずかであったにもかかわらず御霊神社に祀られ市の花も明智氏の家紋であるキキョウとするなど、福知山における光秀への信望はあつい。
一方特産品の藍染め品や藍染品などのさまざまな農産品を生産し、それらを扱う商いのまちとして栄えてきた福知山は、後継者不足などの問題によりそれらの産業は衰退しほぼ完全に消滅してしまった。現状としては内陸型工業団地としては比較的大規模な長田野工業団地が1974年(昭和49年)に整備着手がなされたことによる商工業が主な福知山の産業になっているが、それらのかつての伝統と歴史を復活させようと総合的な学習の時間で学ばせる教育機関や、そういった活動の趣旨の民間団体が結成されるなどの動きも見られる。

以前まで福知山市内を走る鉄道は、南北に分断するように走っており市内の交通を阻害するものであった。そこで総事業費約350億円をかけて福知山駅の高架化が行われる。また平成の大合併と呼ばれる市町村合併ブームに乗って、周辺自治体であった三和町・大江町・夜久野町と市町村合併を行った。これにより人口は再び8万人台となり、数の上では一時期抜かれていた八幡市を再び抜き、城陽市とほぼ同数である(2007年現在、厳密には城陽市の方がわずかに人口が多い)。